神楽坂まち舞台・大江戸めぐり2014

日本のさまざまな伝統芸能を神楽坂から未来に向けて発信!

日本を代表するさまざまな伝統芸能を、世代を超えて多くの皆様にわかりやすく楽しくご紹介するとともに、江戸・東京の文化とパリの洗練された雰囲気が調和・融合した伝統と文化の街・神楽坂の魅力に触れていただける事業として、「神楽坂まち舞台・大江戸めぐり2014」を昨年に引き続き、開催する運びとなりました。

本年も神楽坂を支えてきた地元の皆さんのご協力のもと、若手からベテランまで、伝統芸能の第一線で活躍するさまざまなジャンルのアーティストが集結し、普段伝統芸能に馴染みのない方々から若い世代、そして外国の方々まで気軽に楽しめる神楽坂ならではの盛りだくさんの企画をご用意してお待ち申し上げております。

第1回の昨年は約3万人の人々に楽しんでいただきましたが、さらに本年は、<前夜祭>を実施 し、神楽坂の縁(ゆかり)の深いアーティストに御出演いただくと共に、<本祭>では、富山県から江戸文化を伝承する芸能を招聘いたします。

生活に伝統文化の息づく街・神楽坂から、日本の伝統芸能とつながることのできる祝祭の二日間をどうぞお楽しみください。

神楽坂の魅力

江戸時代、大老酒井忠勝が坂上の矢来町に屋敷を構えた1628年ごろ、坂下には江戸城の外濠である牛込見附が完成し、この坂上と坂下を結ぶ約1kmの大老登城道が造られました。その沿道には武家屋敷が立ち並び、これがほぼ現在の「神楽坂通り」です。 明治時代、神楽坂周辺は商店街や住宅地として急速に発展しました。大正から昭和の初期にかけては百貨店も軒を連ねる新しい東京の盛り場として賑わい、「山の手銀座」と呼ばれました。

昭和に入ると花柳界の最盛期を迎えるも、神楽坂は空襲によって辺り一面、焼野原となりました。しかし、昭和30年には再びかつての賑わいを取り戻します。近年はその面影も薄れてきましたが、当時の趣の残る料亭街や三味線の音が響く黒い板塀と石畳に、花柳界の今が息づいています。また江戸時代には蜀山人(大田南畝)、明治期には尾崎紅葉や泉鏡花など多くの文化人が愛し、住んでいました。

そしてここ神楽坂には多くの神社仏閣に護られた人々の暮らしがあり、それは今も昔も変わることはありません。歴史のある商店街の表通りから一歩入れば、狭い路地裏にレストランや料亭が住宅街の中に多くみられます。近くにはアンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)を中心に多くのフランス関係機関やフレンチレストランがあり、パリを彷彿させる一面も持ち合わせています。

この多面性と奥行きの深さ、そして歴史と新しいものとの出会い・融合が息づき、多くの人々を魅了する街、それが神楽坂です。

『市ヶ谷牛込絵図』 出典:国立国会図書館